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10代の頃 「ごきげんよう~♪」が挨拶の学校に通う。

 

久保貞次郎氏(後に町田版画美術館初代館長になる)から

「児童美術」を学ぶ。

 

久保氏を介して、池田満寿夫・曖謳に出会う。

 その頃、野坂昭如、岡本太郎に出会う。

(↑その頃は、ヘンな大人がいるなぁ~ぐらいの認識しかない)

 

後に、久保氏から送られた著書は、今でもわたくしのバイブル。

 

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18?19?歳の頃「画家へのインタビュー」という課題のため、

市川市国府台にある

若き日の中山忠彦氏(後に白日会会長、日展の理事長になる)のアトリエを訪ねる。

モデルでもある奥様から、美味しい紅茶を入れて頂く。

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(結婚~出産を経て)

1981年  独立美術協会の向井隆豊氏のアトリエMに通い、デッサンから学び始める。

 

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1985年    市川市文化会館こけら落としの講演で、

        緞帳のデザインを手がけた東山塊夷先生と出会う。

 

     「子供がまだ小さいので絵を描く時間がとれない」

       というような話をしたら

    「子供を育てた時間は決して無駄にはなりませんよ。」

 

        市川市文化会館地下ギャラリーの市川市美展に参加。

        東山塊夷先生の作品と同じ会場に作品を展示して頂く。

《緑の微風(そよかぜ)》

 

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1985年  画家中島潔氏と出会い、直筆の絵を色紙に描いて頂く。

              (↑我が家の家宝)

     作品に向き合う姿勢に感銘する。

 

 

 

 

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1986年  3人目の子供が生まれたため、しばらくの間、筆を折る。

     (育児休業中に、マクラメ教室に通い始める。

      子育てと仕事と創作活動のバランスをどう取るのかを検証するための、わたくしには必要な時間であった。)

      

1987年     仕事に復帰し、全ての創作活動を中断。

 

      この頃、NHKの通信講座で“ちぎり絵”を受講。(半年のコースを3年かけてクリア。終了証を頂く)

 

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1988年   宇野千代女史のサロンに招待される。

      着物にはまるきっかけだったような気もする。

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1994年   祖母が遺した着物を自分で着るべく、

      通勤途中にある着付け教室に通い始める。

      (ダラダラと長い年月をかけ、着付け教室を開けるお免状と看板を頂く。

                        が、まだまだ未熟なためこれは今も勉強中)

 

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 1993年  土曜日の午後、ステンドグラスを学び始める。

    (まだその頃は完全週休2日制にはなっていなかった)

 

1995年  市川市文化会館地下ギャラリーにて「ステンドグラス作品展」に参加。

     (※仕事が忙しくなってきたことを理由に中途半端なまま、挫折!)

 

←ステンドグラスのデザインは、わたくしのオリジナル。

 硝子からは離れてしまったが、ここで描いたデザイン画は

 その後の作品制作につながっている(?)と、思っている。 

 

 

 

 

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 1997年    ジャパンカントリーアート「石原洋子」氏のスタジオに通い始める。

     夏休みのほとんどを費やし、2年分のカリキュラムを2ヶ月でクリア。   

 

1998年  数寄屋橋ギャラリー「トールペイント作品展」に参加

     (※認定講師のお免状を頂くが、

      何か物足りなさを感じ、挫折!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1998年  通信制の美術大学に入学。

 

       

2002年  卒業(家の中は崩壊寸前~!)

 

    

           卒制で描いた作品が公募展に入選する。

      

     

     作家活動を始める・・・

 

 

       迷走が始まる・・・

       

 

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2003年  (小さなアトリエつきの)家に引っ越す。(50号ぐらいまでの想定)

      

      作品がどんどん大きくなって(実際100号以上)しまい、大変なことになっている。

 

      (結局、リビングルームまで浸食・・・)

 

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2010年    銀座の和菓子屋さんで、偶然お雛様の押絵をみつけ、

       着物の残り裂で、いつか帯が作れたら・・・と、(不定期で)「押絵」を学び始める。

 

       お教室の場所が、銀座のご飯やさん(和菓子屋さんの上)の個室なので、毎回ご飯を食べに行ってる感じ・・・

 

       で、なかなか作品は進まない・・・(作りたいデザイン画は、何枚か描いたのに・・・)

 

      ※ 先生(歌舞伎役者の奥様)がお忙しそうで、お教室は2年ぐらい開かれていない。

        (辞めた訳じゃないのだけれど、早く作らないと・・・わたくしの人生が・・・)

    

 

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2011年          震災と、その痛み(意識するしないとに関わらず、絵を描いていることに罪悪感を感じる)からか、

        絵が描けなくなる。

 

         その後数年、新たな画境が開けず、混迷期に入る。

 

 

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2014年11月15日(土)   東京ビッグサイトにてギネスワールドレコーズ公式認定員立ち会いのもと

 

【世界で最も多くの人に着物を着付ける】ギネス世界記録™の公式認定を頂く。

 

                           ↑ハクビ着物学院公式HPより引用              ↑右側5~6列目にいます。探して見て下さい。

 

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2015年           仕事はセミリタイア、今までやりたかったことをやらなければと・・・

習い事三昧の生活を始める。(お月謝が追いつかない・・・)

 

 

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2015年   切り絵コンクールの入選をきっかけに、三越カルチャーサロン切り紙のセミナーに参加。

     (途中で骨折して、4~5回行っただけ・・・)不定期参加が可能なので、これは再開してみよう~♪

      ・・・独学でもイケるかも?

 

 

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2016年   松屋カルチャーで、日本刺繍を始める。

      (半襟や帯が作れるようになるのが早いか、わたくしの人生の終焉が早いか、競争中~♪)

 

      絵画の中に、ハッチングのように刺繍を施せないだろうか?綿布なら出来そうな気もする。

 

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2016年         金箔貼りを習うべく「アートスクール」に通い始める。

            作品の中に、箔を貼る技法を取り入れ始める。

     

   ↓クリムトの模写に金箔を貼ってみた。            ↓曲線の交わった部分に、金箔・銀箔・プラチナ箔・赤貝箔・青貝箔を貼る。

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2016年        玉神輝美先生の水彩画セミナーに参加。

         (女の先生かと思って参加したら、イケメンの先生だった~♪)

 

        厚塗りになれてしまっているので、水彩画がとても難しいと感じる。

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2016年(夏)  芸術学舎で「箔の技法」(5回コース)を受講する。

        金箔貼りに惹かれて申し込んだものの、ドーサ液で貼る日本画の技法だったので、かなり戸惑う。

        (大枚をはたいて日本画の用具や基本色を揃える)←これから描くことはあるのだろうか?

 

        「金箔には、赤・緑・白が映える」という先生の助言で、テーマは3色を取り入れた雛人形にする。

        (面白みのないなんだか普通っぽい絵になったが、「ほぼ初めての日本画としては“よし”としよう~」

         雛人形の横に並べてみたら、昔からそこにあったようにしっくり馴染んでいる)

 

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 2016年   IT教室(シニア向け)で、HP作成の基礎を学ぶ。(やっと、HPが形になる)

 ★「○○歳過ぎても、HPが簡単に作れます」という「HP作成入門書」にわたくしのページが紹介されました。

 ★わたくしのHPが紹介されている本が、2018年・綾瀬はるかが出てるドラマの小道具として使われてました。   

  著作者のところに、ちゃんと照会があるようです。ドラマで使われると売れるジンクスがあるそうです………

2016年(秋)~2017年(春)  芸術学舎で【日本文化論】着物近代史の講座を受ける。

               元「美しい着物」の編集長、芸術学舎の客員教授、富澤先生と仲良くなる。

               その後、わたくしの展覧会に何度かおいで頂いている。

 

2017年   成人式のパーティーで20歳の青年にすすめられ、ブログを始める。

 

2017年(夏) 東山魁夷記念館ワークショップで、日本画の面白さを再認識する。

 

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2018年  20年ぶりに、美術大学大学院に入学。(←2020年3月卒業~♪)

 

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2019年   ほぼ40年ぶりに中山忠彦先生に巡り会う。19歳のわたくしを覚えていて下さったことに感激!

     ちゃんと、学生時代のインタビューのお礼が言えて良かった-!

 

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2020年3月  京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術環境専攻修士課程美術・工芸領域洋画分野 修了

       (修了展・式は、コロナ禍の中で延期……結局中止!)

 

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2021年7月 「美術の窓・8月号」(p.244〜245)さんに載せて頂きました(°°;)

  (修了展に展示が叶わなかった作品ですが、公募展に出展した作品を取り上げて頂きました)

 

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わたくしは、何がしたいんだろう?

               

どこを目指しているのだろう?

 

 

確かな事は

 

 

“美しいもの”(人も含めて)に、出会いたいということ。

 

幸せを感じて生きていきたいこと。

 

 

まだ、夢の途中~!

まだ、進化の途中~!

 

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